POPの四隅に想いをこめて

約1年の無職、アルバイト期間を経て、出版社に戻る

2022年11月25日から、2023年8月3日までのこと


2022年の年末に、ある出版社を退職した。
直後から同じ業界で再就職先を探すが、不採用が続く期間を半年以上経験した。
出版社に辿り着く為に数回の転職を経た私だったが、昨年の顛末に次ぎ、届き続ける不採用の
通知が、この業界からの退場を勧告されているように思えて、徐々に自分の“適正”を
疑うようになっていた。

指針も蓄えも失いかけていた今年4月。それでも本の在る環境に身を置きたいと、
私は縋るように、かつての営業先であった増田書店で働かせてもらうようになった。日々、
店頭で本を求める人たち。そこには、出版社の企画会議で創り上げる架空の読者像では
想定し得ないような動機と目的があって、私は初めて個の顔と名前として“読者”を
覚えるようになった。

増田書店での仕事に慣れ始めた、6月の中旬だったと思う。SNSのタイムライン上で、
ある男性を取材した記事を頻繁に目にするようになる。本作りに携わる人を多く
フォローしていたため、その誰かが記事を共有する度に、サムネイルに写る男性は、
他の投稿に混ざって何度も現われるようになった。書店界隈の話題に関する記事を
読めなくなっていた私だったが、見送り続けた何度目かに、ようやくそのリンクを開いた。

記事を読んだ翌月の7月下旬、私はそこで紹介されていた名古屋の書店「ちくさ正文館」に
足を運ぶことになる。私のタイムラインに何度も登場した写真の男性は、長年に渡って
店長を務めた古田一晴さん、その人だった。ただ、店頭で古田さんと出会うこと、
そして古田さんが創り続けた売り場を目にすることは、もう叶わない。私が店を訪れた日の
翌日、2023年7月31日に、ちくさ正文館は60余年の歴史を以て閉店している。

退職してから名古屋に向かうまでに私は10社前後、出版社の公募に応募していた。
可能な限り、自分の思想に近そうな会社を選び、その都度確固とした動機をもって選考に
臨んでいたと言える。ただ、何かが欠けているような違和感を覚えてもいた。それは過去
2社で、出版業界の未来を描くことの難しさを知った私の、そこから逃げてしまおうとする
意識の作用であったと今は思う。

記事を読んだ時、私には幸い選考の機会が残されている出版社が1社だけあって、
その面接日はちくさ正文館の閉店直後、8月上旬に予定されていた。書店で働く感覚に
身体の馴染みを覚えていた中での、久しぶりの選考。志望に至った動機にはこれまで以上の
まとまりと、一貫性を感じていた。ぼやけていた前途が、間も無く終わりを迎えるちくさ
正文館の軌跡と交差したことでより鮮明に示されたように思えて、私は名古屋へと突き動かされた。

7月30日はちょうど休日で、私は午前中に東京を発つ。最高気温のピークを迎えた昼過ぎの
名古屋市街地には、熱と光が隅々まで行き渡っていて気力を奪うほどだった。名古屋には
その動向が注目されている個人経営の書店が多く存在する。立ち寄ったその内の一軒で、
私と同じようにちくさ正文館の閉店を知って来名した人が多くいる事を聞いた。

最寄り駅には夕方に着く。地図で示された経路を歩くこと10分、壁面の看板に毛筆で描かれた
「本」の文字を掲げる建物が見えた。この数ヶ月間、SNSを通じて何度も目にした、
ちくさ正文館のトレードマークだった。店に入る前に店外を一周し、その佇まいを写真に
収める。日に焼けた外壁、夜を待つ「Books & Magazine」のネオン。歴史を纏う外観だった。

「隈なく見てきて下さい」偶然にも前日の29日、店を訪れた増田書店 篠田さんの言葉を
思い出しながら、店に入る。そして途端に人とすれ違う。見ると店内は大いに混雑していて、
棚前などでは通路を挟んで客が背中合わせになりながらも、納められた本の全てを記憶に
焼き付けんとするかのように、皆棚を凝視していた。レジに並ぶ列、表紙が擦れる音、
常連だろうか、店頭に立つ店員と話す声などが至る所から空間の隙間もなく発せられていて
それはかつてそうだったという、本屋の“日常”を想起させるようでもあった。
閉店前日とは思えない蔵書量、そしてそれらが最も意味を為す関係性の中に陳列されていて、
そこから何かの力が放たれているような、緊張感さえ覚える売り場だった。

しばらく棚を見ていると、店内を歩き回る小柄な男性に気づく。男性は売り場を整理しながら
時折手を止め、来店する人々と話すなどしていた。古田さんだった。本人を見とめた瞬間
から、棚を見る集中力は失われ、視線は彼の後を追う。話しかけたい。話を聞きたい。
ここに来るまでのことを全て話してしまいたい。同じような思いを持った人は多く居合わせて
いたのか、古田さんは誰かしらに次々と話しかけられていて、常連から閉店を惜しまれ、
馴染みの関係者が労いの言葉を掛けている。合間を見計らって、声を絞り出し、呼び止めた。

店を出た時、100坪程のちくさ正文館で3時間強を過ごしていたことを知る。古田さんの
言葉に全身を任せながら後を追いつつ、店内を右往左往した時間はその内30分を超えていた
だろうか。声を掛けた直後の怪訝そうな表情は、昨年まで出版社にいたこと、共通の知り合い
がいることなどを伝えたことで徐々に柔らかくなり、名古屋の文化的土壌、ちくさ正文館の
歴史、出版業界の現状など様々な視点を交えながら、古田さんがこれまでに目にして来たこと
を話してくれた。頷くことが精一杯で、会話することはできていなかったと思う。
ただ贅沢で、特別な時間の中に居る事だけは強く感じていて、一言も聞き逃すまいと、
全身を集中させていたことを覚えている。

古田さんの言葉に耳を傾けながらも私は同時に、これまでに出会った、書店で働いている
人たちのことを思い出していた。真っ先に浮かんだのは、古田さんと同世代だったベテラン。
昨年引退されてはいたが、本との向き合い方に共通する姿勢を見つけて、自然と二人の姿を
重ねていた。他にも次々と思い浮かぶ顔。2020年以降に陥った苦境の中で、それぞれに道を
模索し、店頭に立ち続けていた。ただ、中にはやむを得ずに他業界へと移る選択をした人、
異動によって不本意にも他業種店へ配属された人など多くいて、その大半がある日突然、
店頭からいなくなっていた。

初めて出会った者であっても、店での、最後の時間を私に注いでくれる古田さん。
そして、私が書店で出会った、たくさんの人たちを重ねる。散らばっていた記憶を
かき集めた時に、私はその一人一人からの想いを、受け取っていたような感覚を覚え始めて
いた。妄想かもしれないし、そう思いたいだけだったかもしれない。ただ、特に90年代の
最高点から、現在に至るまでの時代を支えてきた古田さんのような世代と共に仕事が
できたことで、転換期を迎えた社会において、それでも出版の現場に戻り、そこに身を
置き続けることは自分が背負った生き様であるように感じたのだ。

私と話している最中にも、在庫の問い合わせ対応や、レジ会計の応援を挟む古田さん。
日も暮れ始め、客足が更に増えたことをきっかけに、私は古田さんに礼を伝え、会話を
終える。ベストセラーだという彼の著書を購入した後、売り場を更に2、3周して、
ちくさ正文館を後にした。名古屋に滞在した時間は、半日にも満たない。それでも、
これから転機を迎える為の覚悟がやっと整ったように思えた。

4日後、私は最終面接に臨む。退職から1年にもなろうとする日々の中で私が辿った
道程における全ての得失を糧に、面接官からの質問に一つずつ応えていった。

採用内定の連絡が届いたのは翌日、増田書店での配達の道中だった。それによって、
この名付けようのない9ヶ月間の生活にもあっさりと終止符が打たれる。私は9月から、
また出版社の営業として本を届ける。もし、自信を失い途方に暮れる時間を過ごしたことを
忘れてしまい、今の自分に甘んじそうになった時、私は古田さんを、あるいはやむを得ず
現場を退いた人たちを、思い出さなければならない。そして店頭で受け取った最後の
言葉たちの意味を改めて考えなければいけない。この業界にはもうそう時間は残されて
いないのかもしれない。ただそれを嘆くことより、本の先で待っている読者に資する仕事を
し続けたい。これまでに出会い、そこかしこで奮闘していた全ての人の想いを受け取って、
まずは自らがその想いを継ぎ得る仕事をしなければならない。未来はその先にしか創れない。

 

 

書くことで、遺ることがある。
そう言った意味で、昨年の11月から、この8月までの時間を生きるにあたって、増田書店の
社長、そして店長 篠田さんをはじめ、そこに居合わせた全ての人、友人たち、お客さんに
力をもらい、この期間を潜り抜けることができたことを最後に明記したい。思い返せば、
出版社の営業で初めて訪問したのが3年前。一店員として共に働くことになる未来は
想像さえしなかったものの、訪れる度に、折に触れてそこに流れる想いに共感してきていた。
高慢さから、あらゆる選択を間違えてきた私だったが、今年4月、当てにしていた公募での
採用も見送られ、途方に暮れていた中でも、増田書店で働かせてもらえないかと篠田さんに
相談した、あの時の選択と行動は最良だったと、自らを肯定したいと思う。それほど良い
仲間、友人に恵まれた。この場で改めて、感謝を記したい。ありがとうございました。